東京の心霊スポット!死神にとりつかれた町と勝ち組団地のタブーな話


東京都北区の死神にとりつかれた町!?

東京 心霊スポット

1970年代の話ですが、東京都北区の10軒の民家が並ぶ一区画で、1年ほどの間に住民が次々に亡くなっていく異常事態が起こったことがありました。

病死、自殺、交通事故と 死因は様々ですが、お隣、向かい合わせの家から死者が出ていたのです。

「死神に憑りつかれた」というのは釣りタイトル的ですが^^;  

同じ近隣で関連性のない人死が連続すると、人はそれを「呪い」とか「祟り」などと呼んだりすることが往々にしてあります。

1973~74年頃、神谷公園につながる50メートルほどのとある路地の区画で亡くなったのは7人。

1973年3月にAさん(82歳)
4月にBさん(91歳)…Aさんの左隣
7月にCさん(32歳)…Aさんの一軒おいて右隣。交通事故
10月にDさん(30歳)…Cさんの右隣。登山で転落死
1974年1月にEさん(76歳)…Aさんのお向かい
1月にFさん(70歳)…Eさんの右隣。
⇒この段階で「年明けとともに路地をまたいだのか!?」と騒然となる。
5月にGさん(22歳)…Fさんの左隣。交通事故。

わずか50メートルほどのブロック内で、1年ほどの間に7人もの住人が亡くなったのです。

7人というのは某住宅地1ブロックの話で、この周辺では不審な自殺や事故死も連続していて、それらをひっくるめると 亡くなった人数は30人超えなのではないかとも言われていました。

医師一家の度重なる自殺。プールに落ちて幼児が水死。前出の2番目に亡くなったBさんの息子が経営する工場でも、若者が3人、自殺や事故で亡くなっているということです。

神谷公園は空襲による死者を仮埋葬していた土地だったため「宅地にするときにきちんと慰霊を行わなかった祟りなのでは!?」などの声が町内会からも上がり、1975年、公園内に戦災慰霊碑が建立されました。

現在もこの慰霊碑には花や供え物が絶えることがありません。
 
 
当時の死亡記事を新聞で調べてみても、幼児のプール転落死しか記事が載っていないらしいのですが、一方で「週刊読売」1975年7月26日号にこの件が掲載されているという情報がありました。

だから「死神…云々」という話は別として、連続死は実際にあったのかもしれないけれども、たまたま一地域で不幸が重なったことが、昔起こった不幸な記憶(空襲)を呼び起こした・・・それがこの地を心霊スポットとして有名にしまった真相かもしれません。

「勝ち組」団地のタブー

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東京都江東区の■■■丁目団地はずいぶん昔に「下町の勝ち組団地」と呼ばれていました。

しかし年配者のセカンドハウスとして人気がある一方で、近年は若い人や外国人の入れ替わりが激しく、治安悪化が進んでいるとも言われています。

そんな■■■丁目団地で2006年1月に悲劇がありました。

●号棟に住む20代後半の主婦が、夫に浮気を疑われた抗議の意味で自宅に放火したところ、長女が煙を吸って死亡。

自分の浮気を疑う夫を困らせたかった。前日も自宅前の廊下に火を付けて夫に電話をしたが、あまり心配してくれなかったので、気を引くため火を付けた。

実はこの事件の前年にも、やはり同じ●号棟で、この主婦と同じ浮気抗議を理由に、アジア系女性が放火事件を起こしています。

一説によるとこの団地内では、2000年以降、8人が亡くなっているという話もあり

8人じゃ済まない。会合ではそういう話はタブーになってます。

2002年に起こった女子中学生の飛び降り自殺の後、地元の有志によって一角にお地蔵様が建てられたとか、東京大空襲に見舞われたときには2万人以上がこの場所に仮埋葬されているという話もあります。

また、この団地に隣接する「大島緑道」はネット上で最凶心霊スポットと話題になったこともありました。

ここは実際に訪れてみると比較的明るい場所なので そんな陰湿な雰囲気は感じさせないらしいのですが、緑道で写真を撮ると 高い確率で赤い光やオーブが移りこむという話がささやかれています。

自殺者が続出した団地

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最近は「団地」というと 響き自体がレトロ感を感じる言葉になっていますが、昭和30~50年代の高度経済成長期には空前の団地ブームがあり、「○○団地」の名のつくものが続々と建てられていました。

鉄筋コンクリート造りの大きな建物に、いすやテーブルを備えたリビングやダイニングキッチン…といった洋風の住まいに住むことが、昭和40年代の若い夫婦の憧れだったのです。

そんな中でも特に注目を浴びたのが、1972年に登場したT団地。

T団地は「東洋一のマンモス団地」がキャッチフレーズの高層住宅群で、駅は目の前にあり、敷地内にケヤキ並木が通る、1万戸以上の大団地です。

周囲にはショッピングセンターや公共施設や学校などが整備されてT団地は一大住宅都市となり、そんなマンモス団地の入居者は かつては羨望のまなざしを向けられていたのです。

しかし1977年4月、そのイメージが一転させる出来事が・・・父子3人がこの団地から投身自殺。

そのニュースがメディアを駆け巡るやいなや、あちこちから自殺志願者がT団地を訪れるようになりました。

14階建てで約30メートルもの高さの高層建築物は当時としては珍しく、入居開始当初から投身自殺が5件あったのですが、マスコミが取り上げた父子3人の件がきっかけとなって、悲劇が加速していきました。

それはニュースに誘われるように 1980年(昭和55年)までの自死数が133に上り、社会問題にもなったほどです。

さらにマスメディアがここを「自殺の名所」と呼んだことから、T団地に対する人々の印象が「あこがれ」から180度変わってしまいました。

それに対処すべく 政府が管轄する日本開発構想研究所が重い腰を上げたのは4年後の1981年。

屋上に向かう階段に鉄格子をはめて進入禁止にしたり、廊下や非常階段などの共有スペースにフェンスを取り付けて、どこからも飛び降りられないようにしました。

この対策が功を奏し、自殺者は激減し、「自殺の名所」という異名も今は昔となっています。