隣人トラブル消滅!筥崎宮のお守り「伏敵守」の災難除け効果は絶大だった!


筥崎宮 お守り42歳女性です。新興住宅街に新築したわが家のお隣には、偶然にも主人と同じ会社の若い夫婦が少し先に新築し、住んでいました。

その隣人は私たちの新築直後に 我が家の塀に車をこすって謝りに来た時の微妙に失礼な言動から、私は少し注意したほうが家族だと直感しました。

奥さんが20代前半で若くおきれいな人なので、周辺の旦那さんたちから お近づきになりたそうにべたべたした感じで話しかけられていたり、我が家から丸見えの屋外で 人目に触れる場所にいるにもかかわらず 奥さんはご近所の旦那さんたちから身体の距離を30センチ程度まで接近させられても抵抗がない様子に見えました。

そんな状況で何十分、時には一時間以上も子供を周辺で遊ばせながら話し込んでいることもありました。

そのお喋り好きな感じと ちょっと尋常ではない雰囲気を 私は少し気持ちが悪いなと思ったのです。

どこの会社も例外なく仕事上の守秘義務は大変厳しいものですが、私の主人もお隣のご主人も 万一漏洩があると大ごとになる職種に就いていました。

そういった関係から 私も主人から厳しく守秘義務について言われていたので、ご近所ではプライベートなことやあまり余計な話はしないようにと気をつけていました。

お隣の奥さんの元にはいつもお友達やご近所さんや親せきといった来客があっておしゃべりが絶えず、わいわい騒がしいことが多い感じでした。

また近所の人と会うと余計な井戸端会議をしたがるところもあったため、私は彼女を見ていて「何かが起こりそうだ」「余計なことまで近所の人に洩らすのでは…」と胸騒ぎする日がありました。

筥崎宮 お守り

筥崎宮 お守りそしてやはりその予感は的中しました。

我が家に宅配便が届いたある日、私がインターフォンで運送屋さんと話した後に、しばらくインターフォンがオンになった状態のまま、うっかり放置してしまったことがありました。

外の音が聞こえるようになったままだったことに気づいたので、すぐにオフにしようと思ったそのとき…。

隣の奥さんがご近所の旦那さんに、隣人の主人の仕事の話とうちの主人の仕事の話を暴露しているのを インターフォン越しに聞いてしまったのです。

さらにその後わかったこと・・・お隣の奥さんは 旦那さんが仕事先で知り得た我が家のプライベートを、近所の人に言いふらしていました。

守秘義務についてはもちろんですが、我が家の内情を第三者に平然と話していたことに私は大変ショックを受けました。もちろんそのことは直後に主人に報告しました。

うちの主人はお隣のご主人よりも更に秘密が厳重な部署で仕事をしているので(つまり隣人より立場も年齢も先輩です)主人が隣人の旦那さんと奥さんにそのことを注意してくれましたが、近所に漏れた情報はすぐに他人の記憶から消えるはずはありません。

あの家族とこの密集した住宅街で隣同士なんて・・・ほんとに嫌だ!

そう思うと毎日いらいらの連続で気が病みそうになりました。主人ともそれが原因で大ゲンカとなり、ギスギスするようになって、家庭の中に嫌な空気が流れることも度々ありました。

筥崎宮 お守り

筥崎宮 お守りその後、福岡に出張に行った主人が、筥崎宮はこざきぐう(福岡の神社 日本三大八幡)を訪れる機会がありました。

そして私にストラップ型の「敵国降伏」と書かれた災難除けの伏敵守を買ってきてくれました。
 
 

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。

鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。

 
筥崎宮 お守り

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筥崎宮 お守り「元寇」は蒙古襲来のとき、俗にいう「神風」が吹き、未曽有の困難に打ち勝ったことから厄除・勝運の神とされています。

たまたま気分転換にDVDを見ようと、過去に興味深く見ていた大河ドラマ「北条時宗」を思い出し、主人にも勧めて一緒に見ていたのですが、主人もDVDがおもしろかったらしく、北条時宗と鎌倉時代、元寇などに興味を持ちました。

それで出張で筥崎宮に行ける時間が取れた時に この災難除けの伏敵守が気になり、買ってきてくれたのです。その台紙には

敵国降伏の意味するところは、国や人々が誠の道を歩んでいれば、必ずや神の神助により、諸々の災難を防ぎ止むという祈りが籠められています。

…とあり、その当時の私にぴったりの言葉でした。

私には霊感などまったくなく、あまりスピリチュアルなことに縁がない生活を送っていましたが、この伏敵守を手にした時「どうかこの先、厄介な隣人トラブルがなくなりますように!」と願わずにはいられませんでした。
 


 
筥崎宮 お守りそれから3ヶ月ほどが過ぎてそのお守りの存在を忘れかけていたころ、隣人の家に人の気配を感じることが亡くなりました。

しばらくすると引っ越し業者の大きなトラックがやってきて、たくさんの荷物を運んで行ってしまったのです。

その後不動産サイトで新築間もない隣の家が売りに出されているのを目にしました。

主人と元隣人の部署が離れていたため、具体的にどうして引っ越ししたのか、何があったのかは聞かされることはありませんでした。挨拶ひとつなく引っ越ししていかれたので、知る由もありませんが。

私も主人も「ぽかーん」と引っ越し業者のトラックを見送ったそのあと、ふと思い出したのが、筥崎宮の伏敵守(災難除け)でした。

あ・・・、このお守りの効果かしら!?

「口は災いの元」だったトラブルの隣人が去っていき、私はこのお守りの霊力(?) 災難除け効果に大感謝しました。

さらにお守りの台紙にあった「敵国降伏」の意味とすること、心のありかたについても具体的に書いてあったことによって、筥崎宮の由緒に由来する災難除けのお守りの強さだけではなく、天命を待つための人事を尽くす事も大切だと深く考えさせられるきっかけになりました。

「国や人々が誠の道を歩んでいれば」という言葉がとても心に響きました。

筥崎宮の縁起・ご利益・周辺の観光・グルメ【九州のパワースポット】
筥崎宮のご利益でイチオシなのは勉強やスポーツ、仕事などの勝負をする場面での勝利をお願いすること(武運長久のご利益)です。